映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の感想など(ネタバレ)

この記事は「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」のネタバレをしてるので、ご注意ください。

わたしとドラクエ

ドラクエは、5からだった。
小学校低学年のころ、兄が買ったドラクエ5をやらせてもらっていた。
レヌール城あたりで「でででででででででんででん」というBGMと共によくデータが消えた。
母親の掃除機が当たっても消えた。カセットを取り出しても消えた。
なんというかドラクエ5はそんな印象のゲームだった。

その後6と7をやり、プレステ版の5をやった。多分大学くらいの時。
それでもあんまり覚えていない。

パパス、ゲマ、ぬわーーーーー!!!!、レヌール城、スラリン、ゲレゲレ、ビアンカとフローラ、妖精の国、主人公が石化、男女二人の勇者、グランバニア。
その程度だ。

そんな私の目にドラクエ映画化の文字が飛び込んできた。
サンプルをみると、映像がすごく綺麗で面白そうだった。
公開直後には見に行けそうになかったが、タイミングをみて観に行きたいと思っていた。

そんな中、いつの間にか公開日は過ぎ、SNSに映画の感想が流れてきた。
わたしは全くネタバレは気にしないので読んでみた。
が、酷評ばかりだった。
そう、主にラストシーンに関してだ。

え、そんな感じなの…と思いつつも百聞は一見にしかずというか、自分で体験すると全く違うこともあるので、やはり観ようと8/13の火曜日に映画を予約した。

実際に映画をみてみた

予約したシートに座ってみてみると、夏休みやお盆休みだからか、子供連れが多かった。
子供も一人で映画館に来れるような子供ではなく、くしくも自分がドラクエ5を初めてやった歳、小学校1年生かそれ以下の小さな子供が親と一緒にきていた。
しっかり確認できてないが、席は9割以上は埋まっていたかと思う。もしかしたら満席だったのかもしれない。

映画の出だしは、当時のゲーム画面をそのまま流していた。
懐かしいという気持ちでいっぱいになった。
あーこんな画面だったな、Aボタンをおしてコメント進める時こんな音がしたよなとか。
とにかく懐かしかった。

そして、そのダイジェストが終わり、あの綺麗なCGに切り替わった時は本当にワクワクした。
あの当時の気持ちが、新しい映像と共に蘇ってきたような、また冒険に出かけられる!とムズムズした感覚になった。

BGMもドラクエのそれなのですごくよかった。

また、戦闘シーンをどう落とし込むのか気になっていたが素晴らしいアクションシーンに仕上がっていた。
敵を倒した時どう消えるのか、そもそも消えないのか、アイテムはどう落とすのか、などなど難しいだろうなと思いつつも、実際の映像はちょっとした笑いや躍動感もあり、見ていて爽快だった。

そしてラスト。
ここまで映画のドラクエ5感を満喫してきた私にとって、「え?だれ?」「なにこれ?」といった感じだった。
「大人になれ」みたいなセリフはイラっときたし、あのまま倒して終わってくれたらいいのにという気持ちになった。
そしてなぜかスラリンの声が渋いw

スラリンといえば「ぼくわるいすらいむじゃないよ」って可愛い声で言って欲しかったですねw
今回の映画では、窓の外から覗いてるスラリンがじわじわくるので、注目してみてほしいですw

あと脱線ついでに、妖精の力で一瞬過去に戻れるのはどうなんだろう?
過去に戻れるとかやっちゃうと、パパスを助けてゲマ倒したらいいのにとか思ってしまった。

そんな感じで、全体としては面白かったが、ラストシーンがひっかかってしまった感じだった。
そこで自分なりに考えてみたのが以下である。

映画を見て思ったこと

なぜ最後が受け入れ難かったのか。
それは観客が今回の映画に、ドラクエ5そのものを重ねてしまっていたからではないだろうか。

今回の映画は、ドラクエ5を想像してる人にとっては賛否の否が多くなるような内容だった。
実際、あのサンプル映像を見たらもうまさにドラクエ5だし、ストーリーに沿ったシーンもあったし。
それでドラクエ5をイメージするなというのは無理な話だと思う。

ドラクエ5を1本の映画に落とし込むにあたって、「ストーリーが濃すぎて入りきらないから削る」というのはまだ有りな気もするが、あえてあのラストを追加して削ったコンテンツの整合性を保とうとするのは、あそこまでドラクエ5の物語を踏襲したストーリーにしては強引すぎた改変だったように思う。

だが、今回の映画はドラクエ5ではなかったのだ。
「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」というタイトルが示す通り、「ドラゴンクエスト5 天空の花嫁」ではないのであれば、別のものとして仕上げてみたらよかったのではないかと思う。
コアな部分は踏襲して、新しいドラクエ5を映画でやることは可能だったのではないだろうか。

素人考えであるが、
ドラクエ5のちょっとずれた別の世界線という設定で、
パパスが捕らえられる世界、序盤でゲマを倒してしまう世界、フローラが幼馴染の世界、はたまた登場人物はすべて新しくして、だが内容はある程度ドラクエ5を踏襲している物語、など、いろいろ考えられるし、プロが時間をかけたらもっと素晴らしい物語を考えることができるだろう。

そういう意味では今回の映画は、ドラクエ5を中途半端に変えてしまったのだ。しかも大きな影響を与えるエンディングを。

例えば、ポケモン赤緑を映画化するにあたって、四天王を倒す時にあの展開になったらどうだろう。
例えば、ハリーポッターでヴォルデモートを追い詰めたときに、あの展開になったらどう感じるだろう。
例えば、今公開されている超実写版とも言われるライオンキングのラストがあの展開だったらどう思うだろう。

私は夢オチ的な終わり方はあまり好きではない。
ゲームでも映画でもアニメでもドラマでも小説でも漫画でも、物語に能動的に飛び込んでいるのだ。
クリエイターが作り上げた唯一無二の素晴らしい世界を満喫したいのである。

個人的にはドラクエ5の内容を完全に映画でやるのでも十分楽しめるし、別物としてあのCGの映像美でドラゴンクエストの世界観を再現してくれるのも等しく楽しめると思う。

ゲームはインタラクティブ

インタビューでは、堀井雄二さん、山崎貴さん共に「ゲームはインタラクティブで、一方通行にしたらおもしくくない」というようなことを言っていて。

ただ自分としては、ドラクエはロールプレイングで、役割を演じているのだから、映画との親和性はあると思っている。
もちろんゲームなので操作はするが、シナリオはほぼ決まった役割をなぞっている。
コントローラをもつか、本を持つか、映画館でポップコーンとコーラを持つか、という違いであって、どういったインターフェースを介するにせよ、同様に物語として楽しめるものだと思っている。

また、後者の別物としてのドラクエを作るとしたら、もちろんプレッシャーはすごいだろうが、クリエイターとしては楽しい案件なのではないだろうか。
あの伝説のゲーム、ドラゴンクエストを試行錯誤しながら、別のアプローチでより素晴らしいものを作り上げていくということができるのだから。

さらに勝手な想像

ここからはさらに想像の話になるが、
山崎貴さんは、ゲームは何十時間もやるから感情移入が半端ないと思っていて、ゲームの映画化が成功した事例が少ないのも懸念で、かつCGの映像を作るのはかなりのリソースがかかるので、それらを踏まえすぐOKしなかったようだった。
さらに、ドラクエをやったことがないらしく、そう言った意味でも、あまりモチベーションはなかったのではないかということも考えられる。

ではなぜそんな山崎貴さんにオファーし続けたのか。
それは日本で案件的に実績のある3DCGの映像クリエイターが山崎貴さんだ、ということなのではないだろうか。インタビューでは誰が企画したのかわからなかったが、そもそもの企画が「天空の花嫁」の映画化だったらしく。
じゃあそれを誰ができるのか?山崎貴さんだ!みたいな。

断ってからもプロデューサーから熱心に声を掛けられたと言っていて。
企画側としては無理にお願いして作ってもらっているから、山崎貴さんが「思いついてしまった」とされているラストシーンに対して、意見が言いづらい状況になってしまったのではないか。
企画が「天空の花嫁」なら今回のラストのオチは、本来のコンセプトから逸れてしまっているのではないかと思う。

– 原作・監修:堀井雄二
– 総監督・脚本:山崎貴
– 監督:八木竜一、花房真
– エグゼクティブプロデューサー:阿部秀司、臼井央、伊藤響
– プロデューサー:藤村直人、依田謙一、守屋圭一郎、渋谷紀世子、川島啓太
– 全体監修:市村龍太郎

上記の人たちが内容に関わってるのではないかと思ったのだが、だれがどの程度裁量があったのだろう。
最初に企画を考えたのははだれなのか、熱心に声をかけたプロデューサーはだれなのか、このラストシーンに対して意見は言えなかったのか。

映画の作り方について

また、映画の作り方の話だが、
山崎貴さんは「映画のプロットを書いていて…」と答えている。

そのプロットを今回の映画のターゲットに見せてヒアリングなどしないのだろうか。
自分の作ろうとしてるものが、どう感じられるのかを確認してブラッシュアップはしないのだろうか。
リソースがかかる作業ならなおさら、最初の設計、コンテンツの流れ、脚本は大事なのではないだろうか。
だれに対して、どんなコンテンツを提供し、どこでどんな気持ちになってもらうのか。意図と違って伝わってしまってるところはないか、そういった確認はしないのだろうか。

確認をせずに、多くの人のリソースを数年間にわたり投入するのはかなりこわい事だと思ってしまうのだが..。

堀井さんのリクエスト2点

他に気になった点としては、今回の映画は、
ゲーム「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」のシナリオを担当した堀井雄二さんから山崎貴さんへのリクエストは2点のみだったというところだ。
「天空の花嫁」をやりたいのであれば、ドラクエ5の生みの親である堀井雄二さんがリクエスト、しかも2点のみという関わり方でなく、脚本をまるっと担当するべきだったのではないだろうか。

リクエストの1つは「プロポーズシーンをとにかく厚めに脚本を書いてほしい」とのこと。
あれが厚いかと言われるとそうでもなかったように感じた。
結局プロポーズうんうんは、幼少期やそれまでの話があっての葛藤なので、そこらへんが省かれてしまってる以上、1本の映画でドラクエ5風のものを作るには難しかったのだろう。
時間制限がある中での落とし所があそこだったという。

そういった部分が不十分であれば、分割する、もしくはやらないという判断ができたらよかったのではと思う。
ただここまでの大規模案件、仕事的に走り出してしまったものを止めるのはかなり難しいだろうし、だれが決定権を持っていて判断するのかわからないが、クリエイターがそういった判断をできるような世界が実現できるといいなと思う。実現性は考えずの理想だが、チーム全体として、見る人にとってどうなのかを最優先にできるとすごく良い。

また、もう1つのリクエストに関してだが。
「ゲームを知らない方でも、1本の映画として存分に楽しめるように」というのがあって、これが今回のラストシーンを産んだきっかけのような気もしてくる。
ドラクエとは「関係ない」大どんでん返しの要素の追加…知らない人は受け入れやすいかもしれない。
作るからにはたくさんの人にみて欲しいというのはあると思うが、少しターゲットを広くし過ぎたのではないか。

これも映画化をするに当たって、脚本は山崎貴さんが担当するって握られてたのかもしれないし、本当のところどうだったのかわからないが。

最後に

FF7も映画で完全再現してくれないかなw
歳を重ねるごとにRPGやる気力がなくなっていってるw

記事を書くにあたって参考にした記事など

「ドラゴンクエスト」生みの親・堀井雄二、映画化で山崎貴総監督にお願いした2つのこと
https://www.cinematoday.jp/news/N0110306

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー:山崎貴総監督が明かす“大人気ゲーム3DCGアニメ化に込めた思い 豪華キャスト起用のワケは…
https://mantan-web.jp/article/20190801dog00m200054000c.html

「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」佐藤健×有村架純×波瑠×山崎貴 座談会 – 映画ナタリー 特集・インタビュー
https://natalie.mu/eiga/pp/dq-movie

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ドラゴンクエスト_ユア・ストーリー

この記事に関連する記事

コメントをどうぞ