ぼぉくが写真を撮る理由はぁーだーいたい100個くらいああってー

何かをやるには理由が必要で、それが説明できることが大事だったりする。

面接でも、デザインでも、写真でも、仕事ってゆーのが絡んでくると、それは必須になってくる。

なんでこの仕事をえらんだのか?
なんでこのデザインにしたのか?
なんでこの写真を撮ったのか?

その回答が「すきだから」ってのじゃダメで。

○○があって。その時○○してもらって。○○と思って…。
それを解決するためにこの要素を○○して、見に来た人の目線を…。
日常の中で感じた○○を、○○にして撮ることで感じてほしい…。

とか。
とかとか。
もっともらしい理由を言えなきゃいけない。

それは自分の中から出た言葉で、
知識、経験から紡ぎ出された言葉で、決して間違ってはない。ちゃんと言える人ってのは案外少なくて、立派なことだと思う。

けど、そんな考えのもっと深いところ。
もっと本能に近いところ。
小難しく考えてるのを全部とっぱらっちゃえば、そこにあるのはきっと好きって気持ちだけで。ほんとは理由なんてそれだけで。

すきってゆーそんな幼稚な想いが、全てのやりたいことの理由の源になってるってこと。そこからあふれ出してくるってこと。

大人になるってのは理由を話せることなんだって思った。
子供が大人より毎日が輝いて見えてたのは、難しいことはわかんないし考えられないけど、わかんないからこそ気持ちで行動してて、シンプルな熱い想いが足を動かしてたからだと思う。知らないことがあることがワクワクさせてる。
やってみたら、後からいろいろ分かってくる。

自分が写真を撮りだしたきっかけは、会社で初めてさわった一眼レフのシャッターを切る音が心地良かったから。
それがすきだった。
それをいまでも好きなんだって。

僕が写真を撮る理由。
理由ばっか考えて、理論武装して、頭でっかちにならないように。
すきって気持ちがなくならないように。
子供みたいにキラキラした目の、かっこつけた大人になるために。
考えてみようかと思う。

これから撮る写真は、自分がまだ見えてないもの見れる気がする。
きっと成長できる。
撮る理由が同じなときも、違うときも好きな瞬間を残したい。
まぁそんな理由なんて100個くらいあるかはわかんないけどね。

あ。その前にいろいろ話を聞きたいなって思った。

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